ザ・ビートルース
メンバー紹介
音の魔術師!ジョーンくりそつのルックスが大人気!!
ジョージ新田 (Gt. Keys. Vo.)
- 1964年愛知県名古屋市に誕生
- 中学でビートルズに出会う。高校で初バンド結成
- 1980年代後半、名古屋スタークラブでパウロと出会う
- 1990年上京。以後、鶴見ラバーソウルを中心にプルーデンス、スーパービートル等で活動
- ビートルースに2001年より参加
ビートルースでの主な役割は、サイドギターとキーボード。
彼のサウンドメイキングと素晴らしいパフォーマンスなくして現在のルースは考えられない。
実は彼の作り出すマジカル・サウンドこそ、ルースの心臓部である!!
使用楽器: Gibson レスポール, KORG N364
ジョンのメロディを見事に歌いながら、りんごのドラムも見事にこなす!
ジョンゴ金子(Vo. Dr.)
- 1958年福島県生まれ
- 中学1年からビートルズやロックを聴きはじめビートルズのようになると決意する。
高校で初めてバンドを結成。以来、ずっとバンド活動を続け現在に至る。 - 1988年大学で知り合ったギターの湯川とビートルース結成 最初は何とトリオだった。20年も続くとは本人もびっくり!
ビートルースの発起人!
ドラムを叩きながらジョン・レノンを歌う姿は一度見たら忘れられないインパクトがある。
和太鼓で磨いたリズム感は非常に魂がこもっており、その音に引き寄せられる。
りんごのレパートリーもあるけどジョン曲をほとんど担当しているジョン声の持ち主!!
まるでジョンのような、長嶋Mr.ジャイアンツのような、やんちゃな歌うドラマーさんはきっと会場の皆さんを幸せにしてくれることだろう。
使用楽器: ラディック, プレミア, ジルジャン
ジョン顔長柄ジョージ・ヴォイスの持ち主 クラシックギターの名教師でもある!
ジョンジー湯川(Gt. Vo.)
- 和歌山県生まれ
- 年齢不詳
- 趣味はキノコ狩り
- 16歳よりエレキギター及びアコースティックギターを始める。
以降数多くのバンド活動を経たのち
突然クラシックギターに目覚め、
手塚健師氏に10年間師事。 - 1988年ジョンゴ金子氏とビートルースを結成
- 現在東京、横浜にてギター、ウクレレの講師を務める傍らエレキ、クラシック両方で活動中。
使用楽器: Gibson ES335, ephone casino, アルカンヘル
パウロ鈴木。
- 1961年愛知県名古屋市に誕生
- 1972年NHKヤング・ミュージック・ショーでEL&Pを目撃~これまた強い衝撃を受ける!!
EL&Pの曲をコピりまくり開始。 - 1988年名古屋スター・クラブ(六本木キャバーン・クラブ支店)にてビートルズ・ワーク開始
- 1992年ビートルースと合流!!
使用楽器:
Hofner orig.'62/64 Mod.,
Rickenbacker Shinseido 60th Anniversary Rose Morris 1999 Mod. etc...
HISTORY
バンド結成からスタイルの確立まで
「今までの事は全て忘れ、ただ『楽しいバンド』を作ろう」。プロで成功する事を夢見てバンドを続けていたものの、裏にある人間関係の難しさやもめごとの多さに、みな嫌気がさしていた時だった。『楽しいバンド』イコール『ビートルズを演るバンド』になっていったのには、やはり多くの人がそうであるように若き日の音楽の原体験に基づくものであったという。このようにマイペースな活動であったが、友人か応募したビートルズクラブのバンドコンテストで思いがけず優勝、またNHKの番組『ファイト』で取り上げられたことにとって、急速にビートルズファンの間でその名を知られるようになった。
そのあと、ベースが脱退。一時的にバンドは休止状態となるが、横浜でビートルズ専門ライブハウスやレコード店を経営する鈴木が意気投合して加入する。彼も他のメンバー同様、さまざまな音楽を経験した上で、ビートルズに行きついた1人だった。彼は自らの専門知識を生かし、サウンド面ではもちろん、ステージ衣装に「サージェントペッパー」のミリタリールックを導入するなどビートルズファンをうならせるような仕掛けを施していったのである。
ジョージ・マーチン氏との出会いからCD製作へ
1996年に行われたビートルズ・クラブ主催の「ビートルズ音楽祭」では、審査委員長として来日したあのビートルズの名プロデューサー、サー・ジョージ・マーチン氏とその夫人の前で「A DAY IN THE LIFE」を演奏し、彼等を大喜びさせただけでなく、直々に賞をいただくという栄光に輝いた。そしてこのことが、彼らにオリジナル曲を含めたCD制作へとかき立てるきっかけとなる。
1997年に鈴木が主催するレーベル、ラバーソウル・レコードからファーストアルバム『マジカル・ドリーミー・ツアー』を発表し全国で流通される。国内はもちろん、海外のコアなビートルズマニアの間でも高い評価を受けた。
1999年夏、待望のセカンド・アルバム『エニシング・ニュー』を発表した。バスの音やイスの音、オーケストレーションにいたるまで細かく聞き取り再現するという作業はもちろん、今回はジャケットにいたるまでマニアックな仕上がりになっている。また3曲投入されたオリジナル曲も、すべて覚えやすいメロディーラインとプリティッシュ・ライクなアレンジで、パロディーの域を超えて良質なポップスとしてクオリティーの高い仕上がりとなっている。
CDへの評価
これら2枚のCD、特にセカンドアルバムに関しては、あのミュージックマガジン誌、モノマガジン誌上などにおいて取り上げられ、非常に高く評論された。また、ラジオやテレ部番組でも、ビートルズ特集があると、たびたび出演依頼をうけるのも、これらのCDがあるからであろう。
コピーなら聞いても仕方ないという人がいるかもしれない。しかしそれは違う。あの時代の最先端の音を手探りで今再現していくという面白さは、本物を聴くのとは違ったスリリングな魅力がある。ビートルズとエンジニアたちの創作物を分解して再構築するというプロセスを聞き手の方にも楽しんでいただきたい。
最近の動向・活動状況
2000年代のビートルースは、ラバーソウルレコード・レーベルの核バンドとして存在し、ライブではマルチ・ビートルズ・サウンド・クリエーターのジョージ新田やメジャーレーベルからもデビューしているドクター金子などの強力なサポートメンバーを得て、さらにパワーアップしたライブ活動を続けている。
2003年12月には世界唯一のジョン・レノン・ミュージアムにてラバーソウル・レーベルがプロデュースした「We Love ジョン・レノン・フリー・ライブ」がおこなわれた(2006年には有料版も開催)。松尾清憲、パール兄弟、デビッド・ピール、難波弘之、伊豆田洋之、内海利勝など著名な音楽家と共に出演し、平和とジョンへの愛をアピールした。またジョン・レノン・ミュージアムが主催している「アマチュア・バンド・コンテスト」の常設審査員をビートルース代表として、鈴木が3年連続で担当した。
主な活動ヒストリー
1989年 | バンド結成 |
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1991年 | BCC「ビートルズバンドコンテスト」 全国大会優勝 |
1992年 | NHK教育テレビ「ファイト」 ビートルズ・コピーバンド大会優勝 パウロ鈴木。参加 |
1996年 | BCC「ビートルズ音楽祭」 全国大会準優勝及びリンゴ・スター賞受賞 第11回国民文化祭「とやま’96」東京都代表バンドとして参加 BCC来日30周年記念イベント「ビ-トルズ イン 原宿」出演 |
1997年 | ファーストアルバム『マジカル・ドリーミー・ツアー』を発表 |
1998年 | 大丸百貨店(東京店)「ジョン・レノン展」出演 |
1999年 | 衛星デジタル放送「St.GIGA」出演/スタジオライブ録音 セカンド・アルバム『エニシング・ニュー』を発表 |
2000年 | ジャズ専門誌「Out There」
「A Day In The Life」特集に、ビートルースのロングインタビューが掲載される 「ビートルズ1」発売記念イベント出演(東京・札幌) エニシング・ニュー』がミュージック・マガジン誌にて10点満点中8点を取る |
2003年 | NHK総合テレビ「日曜スタジオパーク」出演 ジョン・レノン・ミュージアム主催公式追悼イベント「We Love John Lennon フリーライブ」出演 |
2004年 | 着うたサイト「まじうた」(株式会社メディアドゥ)のビートルズ完全コピー音源に採用され、ダウンロード開始。(07年終了) |
2005年 | CDジャーナル主催 1966~その後のビートルズ~ 原宿ブルー・ジェイ・ウェイ出演 鈴木が東京タワーライブclub333にビートルパワーを引き連れて出演開始。 |
2006年 |
横浜開港記念200年記念イベント「すげえぜ鶴見」出演。 新潟三越デパート「英国フェアー出演」 JLミュージアム「メモリアル・デイズ・ライブ」出演。 鈴木が企画、製作を担当。 |
2007年 | 鈴木が念願のプログレッシッブ・ロックの専門書ムックの製作に携わる。 対談コーナーでは「難波弘之、ローリー寺西、高嶋昌宏・・・」のナビゲーター役として、 またEL&Pやプログレ質問箱の解説等で活躍!! |
2008年 | 名古屋ドームで開催の「アクティブ・シニア・フェアー」に電撃出演!! |